鮭の聖地エコミュージアム構想12のエピソード

Episode09 世界に販路を拓いた缶詰と鮭鱒漁の盛衰

1878(明治11)年、北海道開拓使は別海村の西別川河口に缶詰所を設置します。江戸時代から高品質で知られた西別川産の鮭を缶詰にすれば、外貨を稼ぐことができ、定住者も増えると考えたのです。やがて別海罐詰所は民営化され、以後根室海峡沿岸に次々と缶詰工場ができ、根室海峡沿岸は近代的水産業により大いに発展します。しかし原料の天然鮭鱒は資源が枯渇していき、漁業者たちは様々な挑戦を余儀なくされます。

旧開拓使別海罐詰所」が設置されたのは、ほとんどの日本人が缶詰を見たことも聞いたこともなかった時代です。日本の本格的な缶詰産業は、開拓使がお雇い外国人を招聘し、北海道で始まります。

明治11年に開設された別海罐詰所は、開設当初経営が難航し、廃業の危機に直面しますが、世界へと販路を開いたことで飛躍的に事業拡大していきます。日本語と英語が併記された「根室海峡沿岸の缶詰ラベル」は、世界を視野に缶詰生産が行われていたことを伝える文化財です。

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別海罐詰所のラベル(北海道立文書館蔵)

1987(明治20)年、別海罐詰所は民営化され、藤野缶詰所となりました。日清・日露戦争時に戦地での食料として利用されたことで缶詰の需要が高まり、根室海峡沿岸一帯に次々と民間工場が作られていきます。缶詰業は根室地方繁栄の屋台骨となりましたが、明治30年代に入ると天然魚に頼った原料の鮭・鱒が枯渇するという事態に直面しました。

鮭・鱒に代わる資源を確保するため、漁業者たちは昆布やホタテ、ホッカイシマエビなど、新たな水産資源開拓に挑み、それらはいま、鮭と並ぶ根室海峡沿岸の代表的水産物へと成長しています。とりわけ春と秋の風物詩ともなっている「野付湾の打瀬網漁」によるホッカイシマエビ漁は、明治時代に碓氷勝三郎が、エビの缶詰製造法を開発したことで定着しました。その技術はカニにも応用されていきます。碓氷は現在も根室唯一の酒造を営んでおり、重厚な造りの「碓氷勝三郎商店の酒蔵」は、明治以降に酒造業の傍ら缶詰生産で栄えた当地の水産業の歴史をいまに伝えています。

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野付湾の打瀬網漁(提供:別海町観光協会)

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碓氷勝三郎商店の酒蔵

根室の昆布漁」は18世紀には既に行われていましたが、鮭・鱒の不漁で明治期にはさらに漁場を広げていきます。明治後半からは富山県からの移住者たちが増えたことで出身地の伝統芸能が伝わり、「珸瑤瑁獅子神楽」が今に伝承されています。
また、鮭鱒の不漁期に、標津では凶漁対策のため仔馬の飼育が推奨されました。日清・日露戦争を背景に高騰した馬は貴重な現金収入となり、漁師たちの生活を支えたのです。 缶詰原料として肉牛飼育も積極的に行われ、野付半島に残る「海辺の牛舎跡」やサイロ跡としてその名残を見ることができます。

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根室の昆布漁(提供:根室市教育委員会)

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別海罐詰所のラベル(北海道立文書館蔵)

09-3-野付湾の打瀬網漁(提供_別海協観光協会)-min

野付湾の打瀬網漁(提供:別海町観光協会)

09-4-碓氷勝三郎商店の酒蔵(提供_標津町教育委員会)-min

碓氷勝三郎商店の酒蔵

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根室の昆布漁(提供:根室市教育委員会)