根室地方におけるカニ漁業は、1905(明治38)年、缶詰製造業の和泉庄蔵と碓氷勝三郎が国後島沿岸で操業したのが最初と言われている。カニはもともと、鮭・鱒漁の定置網をはいあがってくるやっかいもので、鮮度が落ちやすいうえ保存方法もなかったため、漁師の自家消費用としてのみ利用されていた。ほとんどは捨てられていたという。しかし、缶詰製造とつながることで、水産資源として成り立つようになっていく。とくに、味が濃厚で肉厚なタラバガニは缶詰に適していた。
根室地域の牛についての記録は明治初期から残されている。江戸時代に根室場所の場所請負人であった藤野家の藤野喜兵衛が、1873(明治6)年、南部から食用にするための和牛を移入して根室の花咲町で飼養したといわれている。
1875(明治8)年の開拓使根室牧畜場の開設以降、根室地域では乳牛の飼養が普及していったが、標津町周辺では、漁業者が漁業だけでは生きられなかった時代、副業として畜産農業を行い「半農半漁」の生活を送った歴史がある。