鮭の聖地エコミュージアム構想根室海峡「食」Story

StoryⅣエビ

幻想的な帆掛け舟に見る近代への歩み

鮭・鱒漁を補う産物として見出されたホッカイシマエビ

根室海峡に伸びる日本最大の砂嘴・野付半島。その半島が作り出す野付湾にのぞむ地区・尾岱沼では、ホッカイシマエビ(標準和名:ホッカイエビ)漁が夏と秋に行われ、野付湾の風物詩となっている。シマエビと呼ばれる由来は、特徴的な白いしま模様にある。緑褐色の体に白いたてじま模様があり、茹でると緑褐色だった部分が鮮やかな紅色に変わる。すると、紅白のしま模様になるため、縁起物としておせち料理などにもよく用いられている。
ホッカイシマエビが水産資源として着目されたのは、近代になってからだ。古くから鮭・鱒と鰊が中心だった根室沿岸地域の漁業は、明治半ば以降、資源がしだいに枯渇し不漁が続いた。1891(明治24)年には鮭・鱒の人工ふ化事業に着手していたが、すぐに成果は得られなかった。西欧諸国と肩を並べようと国を挙げてまい進した明治期にあって、根室沿岸地域でも、鮭・鱒と鰊漁を補う新たな産業の確立が求められていたのである。
そこで注目されたのが、ホタテ、コンブ、そしてホッカイシマエビだった。野付湾ではもともと自給的な漁が行われていたようだが、明治後期からは、水産資源として盛んに水揚げされるようになった。

試行錯誤の末、エビの缶詰製造に成功

明治30年代、根室の碓氷勝三郎が始めた缶詰工場が別海に新設されたことを機に、ホッカイシマエビは鮭・鱒に続く缶詰の原料として着目されるようになる。しかし、魚に比べて鮮度が落ちやすいエビの肉は黒く変色してしまい、売り物にならず失敗続きだった。碓氷勝三郎は試行錯誤しながら研究を続け、1900(明治33)年、硫酸紙に包む方法を開発。課題だった黒変が防止され、エビの缶詰製造にみごと成功した。こうして商品化されたエビの缶詰は、同年開催されたパリ万博に出品され賞を得ている。
この技術はカニの缶詰製造にも生かされ、根室地方でのカニ缶詰産業勃興のきっかけとなっていった。

特徴的な自然環境と昔ながらの漁法を守り伝える

野付湾は水深が浅く、海底にホッカイシマエビの住処であるアマモ(海藻)が群生している。そのため、アマモを傷つけないように、三角の帆を張った昔ながらの帆船・打瀬舟での漁が現在も行われている。打瀬とは、帆が受ける風と潮流を利用した小型底曳網漁法のこと。
広範囲に藻場がある野付湾は、ホッカイシマエビの絶好の生息地であり、この貴重な資源を守り育てる„海のゆりかご〝である。そして1961(昭和36)年以降、ホッカイシマエビは、ホタテやアサリ、シジミなどとともに蓄養が促進されてきた。
しかし1972(昭和47)年、台風でアマモの繁殖地が大きく削り取られてしまい、漁場は大きな痛手を受ける。そこで、1978(昭和53)年から野付湾地区大規模増殖場開発事業を開始。消波用ブロックを設置するなどの保護対策を講じ、資源回復を図った。現在、資源保護のため漁は夏と秋のみとし、漁獲量もあらかじめ調査して決められている。
このような、野付湾の特徴的な自然環境を人が守り育む暮らしぶりは、次世代に伝えるべき地域文化であり、2004(平成16)年に「野付半島と打瀬舟」として北海道遺産に選定されている。
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ボイルすると紅白の模様となり、縁起物にも用いられる。

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野付湾の春と秋の風物詩「打瀬舟」

塩ゆでしたシマエビ

北海道遺産にも選定されている打瀬舟漁では、餌でエビをおびき寄せるのではなく曳網で漁をするため、餌の味やにおいが肉に付かず、天然そのままの味を堪能できる。濃厚な甘み味わいが特徴。
ホッカイシマエビは鮮度が落ちやすく、活のままの輸送は困難であるため、一般的には水揚げされたら浜で塩ゆでされ、そのままの状態で販売・出荷されていく。その時の塩加減が味の決め手。残った頭や殻は味噌汁の出汁にも使える。
野付漁協では生きた状態でセリが行われるので、漁期には生のホッカイシマエビを味わうこともできる。
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